12月14日 (土)ガーデンシティクラブ大阪にて、安全保障セミナー
議題「能登半島地震 災害派遣部隊を指揮して」【国防を考える会】主催が盛大に行われました。
自衛隊生活35年の間、①平成7年阪神淡路大震災、②平成28年熊本地震、③平成30年北海道地震、④令和2年球磨川氾濫集中豪雨、⑤令和6年能登半島沖地震と、現場の指揮を執られていた指揮官の講演を要約してお伝えします。
今回の能登半島沖地震は、元日の16:10で、冬の為、日没時刻も16:45と早く、天候は曇り、月明かりも無く、地上からの連絡では主要道路、特にトンネル出入り付近では、通行できず、翌朝、多くの壊滅的な状況が判明しました。 平素は「訓練事故はあってはならない!」と、口酸っぱく方面総監時代はいつも、口にしておられたのですが、この時は、正月で、防衛大臣も、県知事も直ぐに連絡も取れない状況の中でもあり、「後の責任は俺が取る!『直ぐに被災地に、国民を護りに救援に行け!』と、各部隊に、指示したそうです。
現在、地震の震度が5以上となると、ヘリ部隊は、映像伝達装置を搭載し、現場からの状況を、地上基地局に災害状況情報を同時にマイク、スピーカーで、画像だけではなく、CP(コマンドポスト)に復唱(周囲に傍聴してもらう為)させてリアルタイムに全体に伝達送信します。
しかし、海上、航空自衛隊とは、電波の互換性に違いが有り、静止画や音声は十分に届いても、高度が300ft(約80m)迄高度を上げると、陸・海・空で情報を共有するとブロックノイズが発生(現在解消済)する不具合もありましたが、陸・海・空合同運用時の、それぞれの解析対策には、迅速に対応処置出来たとの事です。
能登半島の地形は、三方を海に囲まれ中央部は山岳地帯で、冬季は常に雲に覆われ、風雪も強く、積雪の為、有視界飛行は、山間部分の遠近感と凹凸も判らない為に危険で、国土交通省の規制(天候飛行規則)もあり、不可能な状況でしたが、
航空自衛隊のAWACS(早期警戒機)を、管制塔として常時、能登半島上空に飛行させて、天候影響の無い、海上飛行のみに徹底、陸・海・空、のそれぞれの回転翼機は、一日40~50機で患者輸送や救援物資の空輸任務を遂行しました。
海上自衛隊からは、呉配属の「おおすみ」輸送艦の飛行甲板をヘリポートと、補給基地拠点として運用し、LCAC(ホバークラフト)で、寸断された陸路からでもなく、海路から重機を運搬し上陸出来そうな2か所へ、現場投入し道路開通確保の時間短縮が計れました。
陸上自衛隊は全師団の後方支援部隊の、入浴設備を被災現場に投入配置、瓦礫の撤去、過疎地域への安否確認、支援物資の仕分けなど、医療機関においては、自衛隊退職者(防衛医科大ナース)が、偶然、総合病院に在籍しており、報告など時間短縮で、迅速に対応出来た事など。 普段、メディアからは、知り得る事の無い、奥の深い内容に、自然と引き込まれる講演会でした。
最後に、安倍政権時代の総理は、震災発生時には、いつも、現場に駆けつけ自衛官を激励してくれていたが、中央は、復興予算のソロバン勘定ばかりで、現場で同伴していた大臣達に、叱責する姿に、国と自衛隊の最高指揮官である懐の深さを感じたとの事です。
【国防を考える会】についての問い合わせは、事務局・広報迄連絡下さい。
講師紹介
堀井泰蔵
1988年 陸上自衛隊3等陸尉任官
陸上幕僚部 報道係長 後方計画班長 運用課長
第12普通科連隊長 第1施設団長 第5旅団長 第8師団長
中部方面総監
2024年 退官 現在 ダイキン工業株式会社 特機事業部顧問